
華麗なる一族 〜キュリー編〜
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一族・・・一つの血筋につながる人たち。一門。血族。同族。
明鏡国語辞典
世の中にはいろいろな一族がいます。スケールを大きくして考えると、我々も同じ一族だということができるでしょう。ですが、世の中には本当にヤバい一族がいます。
今回はヤバい一族の一つである、キュリー一族を紹介していきたいと思います。
ピエール・キュリー
ピエール・キュリー?ああ、キュリー夫人ね。とか思った人、危ないです。彼は、キュリー夫人の夫。即ち、ムッシュ・キュリーです。ついつい奥さんの影に隠れがちですが、一応キュリーです。
彼は1859年、フランスで生まれます。そして1895年にポーランドの、マリア・スクウォドフスカと結婚。のちのキュリー夫人です。というか、キュリーと結婚したら誰でもキュリー夫人なんですけどね。ちなみに新婚旅行は貧乏だったので、2人でフランスの田園地帯を自転車で巡るだけ、という質素なものでした。
彼女も研究者で、ピエールと共に研究することにしました。それは放射能の研究。2人はとても貧乏でしたが、力を合わせて頑張ります。放射性物質まみれになりながらも頑張った末に、1898年、とても放射性が強いポロニウムとラジウムを発見します。そして「放射能の研究」によって1903年、2人はノーベル物理学賞を受賞しました。そして彼は1906年、馬車に轢かれて死んでしまいます。
マリー・キュリー
さあ、お待たせいたしました。キュリー夫人です。彼女は1867年、ポーランドで生まれます。1906年に夫を亡くしましたが、自らに発破をかけて研究に打ち込みました。その結果、1911年、「ラジウムおよびポロニウムの発見とラジウムの性質およびその化合物の研究」よりノーベル化学賞を受賞しました。これでキュリー夫人は史上初女性受賞者、史上初の二冠を達成したわけです。ちなみに受賞の3日前、亡き夫の部下のポール・ランジュバンとキュリー夫人の不倫をポール夫人にバラされるとかいうエグいことをされています。ちなみに、このポール・ランジュバンの孫とキュリー夫人の孫はのちに結婚しています。
その後もキュリー夫人は第一線で活躍します。第一次世界大戦で負傷した兵士のために、レントゲン付き自家用車を運転して駆けずり回ります。この車は「プチキュリー」と呼ばれていたようです。キュリー夫人は長年放射性物質の研究をしてきました。もちろん体は無事なはずはありません。そしてキュリー夫人は1934年、放射線被曝により、死んでしまいました。
イレーヌ・キュリー
続いてはキュリー夫妻の娘のイレーヌ・キュリーです。
彼女は1897年、フランスで生まれます。彼女は研究者として、母のマリーを支えます。そして1926年、同じく研究者のフレデリック・ジョリオと結婚。フレデリックはフレデリック・ジョリオ=キュリー、イレーヌはイレーヌ・ジョリオ=キュリーと名乗り、彼女の父母のように2人で研究に励みます。2人は1935年、「人工放射性元素の発見」によりノーベル化学賞を受賞します。しかし彼女は1956年、放射能の研究からなのか、白血病で死んでしまいます。
フレデリック・ジョリオ
前述したように、彼はキュリー夫妻の娘のイレーヌの夫、フレデリック・ジョリオです。
1900年、フランスで生まれます。彼はイレーヌと結婚する際に、キュリーの名前が結婚することで消えてしまうのを惜しんで、自らの名前もフレデリック・ジョリオ=キュリーとします。ちなみに夫婦二代にわたってノーベル賞を受賞したのは未だに前例がないそうです。彼は戦時中はナチスドイツに歯向かい、戦後はフランスで初となる原子炉「ZOE」を作ります。そして、フランスでの原子力研究は平和のためだけにすることを宣言し、平和に努めました。彼は1958年、肝臓病で死んでしまいます。
ヘンリー・リチャードソン・ラブイス・ジュニア
彼はキュリー夫妻の次女のエーヴ・キュリーの夫、ヘンリー・ラブイスです。
彼は1904年、アメリカで生まれます。そして1954年にキュリー夫妻の次女と結婚、1965年にユニセフの二代目事務局長に就任します。そして同年、「国際援助機関」ということで、ユニセフはノーベル平和賞を受賞。そのときヘンリーがユニセフの代表としてメダルを受け取りました。
復習しよう!!
ピエールとマリーのキュリー夫妻が発見した、二つの元素とは?
- 水素、酸素
- ポロニウム、ラジウム
- アルゴン、クリプトン
- アスタチン、フランシウム
ポロニウムの名前の由来はキュリー夫人の故郷、ポーランドからきています。
ポロニウムの名前の由来はキュリー夫人の故郷、ポーランドからきています。
フレデリック・ジョリオ=キュリーが1948年に作った原子炉の名前は?
- ZOA
- ZOI
- ZOU
- ZOE
彼はフランスの原子力委員会初代委員長を務めました。
彼はフランスの原子力委員会初代委員長を務めました。
1965年にノーベル平和賞を受賞した国際機関はどこ?
- WTO
- WHO
- UNESCO
- UNICEF
ヘンリーは平和活動家として、「今日の子どもたちの幸せこそが、明日の世界の平和につながっている。」との言葉を残しています。
ヘンリーは平和活動家として、「今日の子どもたちの幸せこそが、明日の世界の平和につながっている。」との言葉を残しています。
最後に…
このようにキュリー一族はマリーとピエールのキュリー夫妻を筆頭に、どんどんノーベル賞を受賞しています。その数計6個。もはやノーベル一家です。
ちなみにキュリー夫人が不倫をして、ポール夫人に脅されていたときに励ましたのが、かのアインシュタインでした。まあ、アインシュタイン自身もめっちゃ浮気者だったんですけどね。この励ましが優しさだったのか、同類を応援したくなったからなのかわかりませんが、これが彼女にとって大きな励みになったのは間違いありません。
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すげえっすね!!もはやあなたはキュリー一族です。惜しい!!あと少しであなたもキュリーです。残念!!もっとキュリーを学びましょう。問題等に不備等がございましたら以下のリンクよりご連絡ください。
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