
百人一首~古典の泉~ 第二号
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どうも、たいまつです。
前回の記事に続いて百人一首について語っていけたらと思いますので、生暖かい目でお読みください。
今回取り上げる首
今回取り上げる首は前回に続いて百人一首の第二首目です。
春過ぎて 夏来にけらし 白妙の
衣干すてふ 天の香久山
(はるすぎて なつきにけらし しろたえの
ころもほすちょう あまのかぐやま)持統天皇
注意する点
まず古文を直訳してみると
春が過ぎて夏が来てしまったらしい。真っ白な着物を干している天の香久山。
前半と後半のつながりが分かりづらいと思います。これからそのあたりを書いていきたいと思います。
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夏来にけらし「にけらし」の「けらし」は「けり」と「らし」がつずまったものです。これらはそれぞれ「に」は完了、「けり」は過去、「らし」は推定の意味を持つ助動詞で、「夏が来てしまったらしい」となります。
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白妙の衣「白妙の」は衣に掛かる枕詞で、白いという意味もあります。
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てふ「ちょう」と読みます。「といふ」が詰まった形で「という」という意味があります。
これさえわかればある程度意味がわかります。では次に当時の歴史を知りましょう。
持統天皇について
時は飛鳥時代。まずは持統天皇について学んでいきましょう。
持統天皇(645~703)
天武天皇のお兄さんは天智天皇で、天智天皇の皇女が持統天皇。ドロドロですが、昔の家系図はこんなものでした。
天智天皇はもともと中大兄皇子という名で、持統天皇が産まれた年にちょうど大化の改新を行ったんですね。わかりやす~い。
後半部分の理解
さて本題の後半部分です。
天武天皇の皇后となりましたが、690年に天皇が崩御し、持統天皇が天皇に即位しました。その4年後持統天皇は都を飛鳥から藤原京(今の奈良県橿原市)に移しました。この歌はそこで詠んだ歌です。
藤原京は大和三山と呼ばれる耳成山、畝傍山、そして香久山の三山に囲まれていました。香久山のあたりでは夏が来ると衣を干す習わしがあり、香久山のそれを見て持統天皇は夏が来ていることを知り、それを歌にしたのです。(この歌は香久山に降り積もっていた雪を白い衣に見立てたという説もあるらしいです)
さらに
後半部分の説明が自分でも思っていたより短かったので、さらに説明をしたいと思います。
この歌はもともとは少し違い、もともとは
春過ぎて 夏来たるらし 白妙の
衣干したり 天の香久山
(はるすぎて なつきたるらし しろたえの
ころもほしたり あめのかぐやま)
という歌でした。「来たるらし」「衣干したり」と表現が直接的で、これを藤原定家(百人一首の編纂をしたとされる人物)が改作したとされています。変えたことでどう変わったのかは僕にはほとんどわかりませんが、「r」の音が減ったのは読みやすくはなったなとは思います。
「天の」は奈良時代前後では「あめの」と言っていたそうです。
さいごに
今回2回目の百人一首の記事作成でしたがいかがでしたでしょうか。今回の歌は前回よりは内容は簡単だったと思います。当時の歴史はそれもあって入れましたが、やはり自分も調べていくうちに知識が深まったと実感されます。これからも百人一首の記事は作っていくつもりなので、改善点などがあればぜひお教えください。
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