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百人一首~古典の泉~ 第二号

2020.03.30
たいまつ
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古典百人一首シリーズ日本史
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どうも、たいまつです。
前回の記事に続いて百人一首について語っていけたらと思いますので、生暖かい目でお読みください。

重要語句を隠す
1. 今回取り上げる首
    2. 注意する点
      3. 持統天皇について
        4. 後半部分の理解
          5. さらに
            6. さいごに

              今回取り上げる首

              今回取り上げる首は前回に続いて百人一首の第二首目です。

              春過ぎて 夏来にけらし 白妙の
              衣干すてふ 天の香久山
              (はるすぎて なつきにけらし しろたえの
              ころもほすちょう あまのかぐやま)

              持統天皇

              注意する点

              まず古文を直訳してみると

              春が過ぎて夏が来てしまったらしい。真っ白な着物を干している天の香久山。

              前半と後半のつながりが分かりづらいと思います。これからそのあたりを書いていきたいと思います。

              shuffle
              switch

              これさえわかればある程度意味がわかります。では次に当時の歴史を知りましょう。

              持統天皇について

              時は飛鳥時代。まずは持統天皇について学んでいきましょう。

              持統天皇(645~703)

              持統天皇の性別は?
              女性
              持統天皇は史上三人目の女性天皇です。
              持統天皇は誰の皇后(天皇の正式な配偶者)?
              天武天皇
              天武天皇の説明はちょっと無理です。すみません...
              持統天皇は誰の皇女(天皇の娘)?
              倭姫王(やまとひめのおおきみ)と天智天皇
              この問題が1問目を解くよりより先に見えてしまった方はすみません。天智天皇は百人一首第一首目「秋の田の...」を詠んだ人物です。さらに天智天皇は天武天皇の兄です。

              天武天皇のお兄さんは天智天皇で、天智天皇の皇女が持統天皇。ドロドロですが、昔の家系図はこんなものでした。
              天智天皇はもともと中大兄皇子という名で、持統天皇が産まれた年にちょうど大化の改新を行ったんですね。わかりやす~い。

              後半部分の理解

              さて本題の後半部分です。

              天武天皇の皇后となりましたが、690年に天皇が崩御し、持統天皇が天皇に即位しました。その4年後持統天皇は都を飛鳥から藤原京(今の奈良県橿原市)に移しました。この歌はそこで詠んだ歌です。
              藤原京は大和三山と呼ばれる耳成山、畝傍山、そして香久山の三山に囲まれていました。香久山のあたりでは夏が来ると衣を干す習わしがあり、香久山のそれを見て持統天皇は夏が来ていることを知り、それを歌にしたのです。(この歌は香久山に降り積もっていた雪を白い衣に見立てたという説もあるらしいです)

              大和三山の3つの「山の名は。」?
              耳成山、畝傍山、香久山(みみなしやま、うねびやま、かぐやま)
              耳成山が北、畝傍山が西、香久山が東にあります。

              さらに

              後半部分の説明が自分でも思っていたより短かったので、さらに説明をしたいと思います。
              この歌はもともとは少し違い、もともとは

              春過ぎて 夏来たるらし 白妙の
              衣干したり 天の香久山

              (はるすぎて なつきたるらし しろたえの
              ころもほしたり あめのかぐやま)

              という歌でした。「来たるらし」「衣干したり」と表現が直接的で、これを藤原定家(百人一首の編纂をしたとされる人物)が改作したとされています。変えたことでどう変わったのかは僕にはほとんどわかりませんが、「r」の音が減ったのは読みやすくはなったなとは思います。
              「天の」は奈良時代前後では「あめの」と言っていたそうです。

              さいごに

              今回2回目の百人一首の記事作成でしたがいかがでしたでしょうか。今回の歌は前回よりは内容は簡単だったと思います。当時の歴史はそれもあって入れましたが、やはり自分も調べていくうちに知識が深まったと実感されます。これからも百人一首の記事は作っていくつもりなので、改善点などがあればぜひお教えください。

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