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百人一首知識の確認|26-50

2020.08.18
植物好き
自然にかかわることが好きな者です。問答庫ではデザインなどを担当しております。記事は幅広く書いていきたいと思います。
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      すみません

      本来ならば

      クイズの形式を変えたりして
      その通り!正解はかんぴょうです

      かんぴょう

      残念!正解はかんぴょうです。

      かんぴょう

      出題する予定でした

      まいります

      名にしおはば 逢坂山の さねかづら 人にしられで くるよしもがな

      三条右大臣

      名前として持っているのなら、逢坂山の、逢って寝る「さ寝」に通じるサネカズラさんよ、そのつるを手繰って他人に知られずにくる方法がないものかなあ

      全体的にはさねかづらまでの上三句が来るの序言葉になっています。これはさねかづらの蔓を「繰る」というからです。「名にし」の「し」は動詞ではなく強意を表す副助詞です。「よし」は方法を意味し、「もがな」は願望の助詞になります。

      小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば 今ひとたびの みゆき待たなむ

      貞信公

      小倉山の峰のもみじ葉よ、もし心があるなら、もう一度行幸があるまでまっていて

      「あらば」は「あら」が未然形であるので順接確定条件です。「なむ」は他人への願望を表す助詞でもみじの葉にいっています。

      みかの原 わきて流るる 泉川 いつ見きとてか 恋しかるらむ

      中納言兼輔

      みかのはらを分けて湧き出て流れている「いづみ川」ではないが、いつ見たかということでどうしてこんなに恋しいのか

      「わきて」は「湧きて」「分きて」の掛詞です。「とて」は「~ということで」と訳し、「か」は係助詞になっています。最後の「らむ」は現在の原因推量をあらわす助詞です。

      山里は 冬ぞさびしさ まさりける 人目も草も かれぬと思へば

      源宗于朝臣

      山里は、冬は特に寂しさがまさっていることだよ。人の行き来も途絶えてしまい草も枯れてしまうと思うと。

      全体に倒置法が使われています。「冬ぞ」の「ぞ」は強意の係助詞です。「人め」は人の往来と訳し、ともかかっています。「かれ」は枯れ離れの掛詞になっています

      心あてに 折らばや折らむ 初霜の 置きまどはせる 白菊の花

      凡河内躬恒

      折るならば当て推量におろうかな。初霜が一面に降りて区別できなくなっている白菊の花であるよ

      「折らばや折らむ」について、「ば」は上の未然形を受けた順接の仮定条件になっていて、折るならば心当てに折ろうかということです。なので「や」は疑問の助動詞です。

      有明の つれなく見えし 別れより あかつきばかり 憂きものはなし

      壬生忠岑

      あなたが、明け方の月がひややかに空に残っていたように冷たく見えた別れ以来、夜明けほどつらいものはない

      「ありあけの」の「の」の意味は主格です。「つれなく」は月と女性の両方にかかります。「別れより」の「より」は動作の起点を表す助詞なので、~以来と訳します。

      朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに 吉野の里に 降れる白雪

      坂上是則

      ほのぼのと夜が明けるころ、有明の月かと思うほどに吉野の里に降り積もっている白雪よぉ

      「まで」は程度の副詞なので「有明の月に思えてしまうほどに」となります。「ふれる」の「る」は存続の助動詞です。

      山川に 風のかけたる しがらみは 流れもあへぬ 紅葉なりけり

      春道列樹

      山あいを流れる川に風がかけ渡しているしがらみは、流れることができずにたまっているもみじだったのだなああ

      「たる」は存続の助動詞です。しがらみは川の流れを緩めたりするのに使うもので、今回は紅葉で見立てています。

      ひさかたの 光のどけき 春の日に 静心なく 花の散るらむ

      紀友則

      日の光がのどかな春の日に、落ち着いた心もなく、どうして桜の花が散るのか

      ひさかたの は「光」など空に関するものにかかる枕詞です。「らむ」は現在の原因推量となっております。

      誰をかも 知る人にせむ 高砂の 松も昔の 友ならなくに

      藤原興風

      (年老いた私は)いったい誰を知人しようか。高砂の松でさえも昔からの友ではないのに

      「知る人にせむ」の「む」は意思を表す助詞です。ここで切れます。「ならなくに」が連語で一つの語句として扱われ、「ではないのになあ」と訳します。

      人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける

      紀貫之

      あなたは、さあどうでしょうか、あなたの心はわかりません。昔なじみのここでは、梅の花はかつてとおなじ香りで美しく咲いていますよ

      句切れです。「いさ」は陳述の副詞で、「さあどうでしょうか」のように訳します。「ぞ」が強意の助詞であり、「~だけが」と訳します。「にほふ」は視覚的情景も含まれています。

      夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月宿るらむ

      清原深養父

      夏の短い夜はまだ宵のままで明けてしまったが、くものどのあたりにつきは宿り隠れているのだろうか

      「を」は逆説確定条件の接続助詞です。「いづこ」をうけて、現在推量のらむが連体形になっています。

      白露に 風の吹きしく 秋の野は つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける

      文屋朝康

      白露に風がしきりに吹いている秋の野は、ひもに通していない玉がちっているようだよ

      「ふきしく」は風のしきりに吹いている様子を表わす動詞です。白露を玉が散っている様子にたとえています。

      忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人の命の 惜しくもあるかな

      右近

      あなたに忘れられる私の身のことはどうとも思いません。しかし、神にいつまでもと誓ったあなたの命が、罰として縮められないかと惜しまれることですよ

      句切れです。「身をば」の「は」は係助詞が濁音化したものです!なんと!

      浅茅生の 小野の篠原 しのぶれど あまりてなどか 人の恋しき

      参議等

      私は思い忍んでいるけれども、たえきれない。どうしてあなたがこれほどにも恋しく思われるのだろう。

      こちらは本歌取りの歌となっております。上の2句が「しのぶれ」を導く序言葉になっています。「浅茅生」は茅がまばらに生えている場所。

      しのぶれど 色に出でにけり わが恋は 物や思ふと 人の問ふまで

      平兼盛

      ひそかに隠していたが、私の恋は顔色に表れてしまったよぉ。物思いをしているのかと人が尋ねるほどに。

      句切れです。最後の「まで」は程度を表す。本当はわが恋はが一番上にきますが、ここでは倒置が起こっています。「にけり」は~てしまったと訳します(てき/にき/てけり/にけり)。また、最後の2句は色にいでにけりの前に来るはずなので、この歌では二回倒置法が使われています。

      恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか

      壬生忠見

      恋をしているという私の評判早くも立ってしまったよぉ。人に知られないようにそっと思い始めたのになぁ。くぅ

      「てふ」は「という」が縮まったものです。「まだき」で早くもの意となります。「思ひそめ」は思い始めると訳します。

      契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波越さじとは

      清原元輔

      約束しました。お互いに涙を流しながら<、「末の松山を波が越えないように、心変わりもしない」と。

      東国の歌謡からの本歌取りで、句切れです。「末の松山」はそこで一番海から遠い防風林であることから、「決して起こりえないこと」と心変わりを関連付けています。

      逢ひ見ての のちの心に くらぶれば 昔は物を 思はざりけり

      権中納言敦忠

      あなたと合って契りを結んでからの心に比べると、昔の恋心は物思いをしないのも同然だったなあ。

      昔とは、逢う前のこと

      逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに 人をも身をも 恨みざらまし

      中納言朝忠

      もし、契りを結んでいなかったのならば、かえってあなたをも自分をも恨んでいなかっただろうになあ。

      相手が冷たくなっているときに詠まれた歌です。「あふ」は古文では「男女が契りを結ぶ」ことを意味します。「たえて」は「全く」などと訳します。「なかなかに」はかえっての意味の副詞です。最後の「まし」で反実仮想をかましてます。

      あはれとも いふべき人は 思ほえで 身のいたづらに なりぬべきかな

      謙徳公

      ああかわいそうだとも言ってくれるはずの人も思い浮かばず、私の身はこのまま死んでいくに違いないなあ。

      「身の」の「の」は主格を表す格助詞です。「べき」が2回出てきますが、前者は当然で、後者は推量を表します(絶対テストに出るやん)。

      由良のとを 渡る舟人 かぢを絶え ゆくへも知らぬ 恋の道かな

      曾禰好忠

      由良の瀬戸を渡る船乗りが舵を失い漂うように、ゆくえのわからない恋の将来よぉ

      上の三句が行方も知らぬにかかる序言葉になっています。

      八重葎 しげれる宿の さびしきに 人こそ見えね 秋は来にけり

      恵慶法師

      生い茂った葎のはびこる寂しい住まいに、訪ねてくる人こそ見えないけど、秋だけはきたことだよぉ

      「宿の」の「の」は同格の格助詞なので、2,3句目は「しげれるさびしき宿に」ということです。「こそ」~「ね」で係り結びですが、これが文中にあるので逆説用法になっています。

      風をいたみ 岩うつ波の おのれのみ くだけて物を 思ふころかな

      源重之

      が激しいため岩を打つ波のように、私だけが思い乱れて悩むこの頃よ

      「~を~み」で「~が~ので」と訳すので今回もそうなっております。「岩打つ波の」の「の」は比喩の格助詞です。「おのれのみ」は「己の身」ではありません!「のみ」が限定の格助詞になっているので「わたしだけが」となります。

      みかきもり 衛士のたく火の 夜は燃え 昼は消えつつ 物をこそ思へ

      大中臣能宣

      宮中のご門を警護する衛士がたく火のごとく、私の恋心も夜は燃えて昼は消えているように物思いに悩んでいるよ。

      「たく火の」の「の」は比喩の格助詞です。「昼は消えつつ」で消えてしまうような恋心も表しています。

      君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな

      藤原義孝

      あなたのためには、惜しかった命までも、逢った今は長くあってほしいと思うことですよ

      「さへ」は「までも」ですね。「もがな」は願望の終助詞です。「あなた」に会う前に、寄せていた心と逢った後の思いを対比しています。

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